メンヘラ事件について 〜後日談編・友達とは何ぞや?〜
今日もご覧くださいましてありがとうございます。
今回はメンヘラ事件の後日談編として事件後から彼が退学するまでを書こうかと。
さて、526メンヘラ事件後から5ヶ月ほどはメンヘラ君は大学に在籍していました。
縁を切ったとは言えども、夏休みを除いて3ヶ月ちょいは彼が学校にいるという状況は変わりませんでした。
ただまあ、幾度か接近されることはあったとしても基本的には無視というか「無いモノ」として扱っておりましたので、ある程度の安全は確保されていました。
そんな中、事が起きたのは10月5日のことでした。
英語の講義にて、とある男子学生(仮にAとする)から、メンヘラくんの名前で呼ばれました。(初対面で名前で呼んでくるなと思ったが今回は触れないことに)
まあ何というか、彼とは名前の頭文字だけは同じっちゃ同じなんです。
なので間違えられたと思い
A「ねぇ◇◇(メンヘラくんの名前)」
あたくし「悪いんだけれども、二度とその名前で呼ぶないで」
A「あ、○○(私の名前)か。てかあいつのこと嫌いなん?w」
あたくし「何でもないからとりあえず放っておいてもらえる?」
…とこんな感じの会話があり、講義終了後にAはメンヘラくんに凸っていきました。
「余計なことすんなよなぁ…」と思いましたがこれがある意味ターニングポイントとなりました。
数時間後、私の大学垢にメンヘラくんの垢(おそらく本垢)から謎にフォローされました。
(通知が来た直後にTwitterを開いたら既にフォローを外されていたので誤ってフォローをしてしまったものかと推測される)
まあ、即座にブロックしたので事なきを得ました。
ただ、その2週間後の講義からメンヘラくんは学校に来なくなりました。
そこからしばらくの平和が到来し、事態は翌年の1月に大きく動きます。
1月には語学系講義のテストがありました。
それはメンヘラくんも履修している講義で、テスト時には座席が指定されていました。
その際には氏名と学籍番号が記されている座席の指定表で、自分の位置を確認すると共にメンヘラくんの位置も一応確認しておこうと思ったのですが………
「メンヘラくんの名前ないやんけ!」
となりました。
そう、履修している講義の座席表に名前がないということ=退学した、ということです。
もうその時はめちゃくちゃ嬉しくてテストも素晴らしいほどに順調に解くことができました。
大学における最大の脅威、自分に害を与える存在が消えたということは安心や安全が確保されたと同義です。
このタイミングでようやく私のキャンパスライフが破綻してしまうという予想される最大の危機が去り、最終的には学部でも次席で卒業できるまでになりました。
余計なしがらみを排除し、無駄のない効率的な人間関係を構築することは結果的に人生を豊かにすると思いました。
これからも人付き合いは長期的な目線で、自分の人生を豊かにする人をよく吟味して行なっていきたいですね。
最後に…
私は人と親しくなる条件として、共感が最も大きなウェイトを占めるものだと思っています。
趣味でも、好きな食べ物でも、好みの異性のタイプなど、なんでも良いです。
私は自分と共通点を持っていたり、同じ思考を持っているような人だと、自然と仲良くなれるタイプです。裏を返せば共感できない人ほど仲良くなりにくいものがあります。
つまり、メンヘラくんは後者のタイプ。ぼっちを回避するために先のことを考えず、安直な考えで他人と関わってしまった…と今はそう思います。
ただ、今回の件でやはり色んなものに対する考え方が変わりました。
主には人との付き合い方ですが、やはり本当に嫌なものに対して、はっきりとNOと言うべきです。
そこで生まれたストレスは今後に活かせる材料ともならず、ただ単純に自分を疲弊させていくだけの存在です。
そんな感じで、私は自分の足を引っ張る人や馴れ合いのような惰性で付き合ってる関係を大幅に削減しました。
現状、困ることは殆どありませんし、より優先すべき関係にリソースを割くことができたので、結果的にこうして良かったと思います。
これを読んでくださった皆様も自分にとって誰が大切か、無駄な時間でその人との時間が邪魔されていないか…色々考えるきっかけになればと思います。
さて、今回はここまで。
次回は九州旅行について書こうかと。お題があれば別の書きます。
メンヘラ事件について 〜526メンヘラ事件発生までの経緯〜
ご覧くださいましてありがとうございます。
今回はメンヘラ事件についてご紹介します。
Twitterと違い、全世界に公開されてる関係上表現や名詞をボカします。ご了承を。
さて、表題の件について、直近でFFの人は私が定期的に使用している「メンヘラくん」という言葉の意味がよくわからないだろうと思います。
単純に言ってしまえば大学入学直後に、私に対して過剰な粘着行為を行った人物のことであります。
そんな彼とどういったきっかけで出会ってしまい、どのような経緯を辿ってしまったのか時系列でご紹介します。
また、可能な限り当時の感情や思ったことなども書きます。
※ほぼ記憶なのでたまーに時系列がズレてることがありますが、基本的には実際に起こった出来事です。※
1.メンヘラくんとの出会い
某年、私は大学に入学しました。
私は所属する学科・学校共に高校時代に親しかった主な友人がおらず、入学当初からぼっち必須といった状況でした。
幸いにも、Twitterアカウントを作成し、そこで何名か同じ学科の人と繋がりを持てたので、そこから何とか軽く話せる人が出来ないものかと模索していました。
…これが全ての元凶でした。
4/5にある人からTwitterに「LINEを交換しませんか」といった趣旨のDMが来ました。それが後のメンヘラくんです。
「これは好都合だ、今後はこの人を中心に交流の輪を広げていこう」と、当時はそう思っていました。
そして、翌日に学内で会い、共に講義の受講や帰宅を複数回行いました。その3日後に私は彼に違和感を抱きました。
違和感といっても非常に感覚的なものです。
会話のイントネーション、話し方、会話の受け止め方など…とにかく違和感を感じました。何かこの人違うな、と
また、講義に遅れるとの連絡があり、原因を聞いたら「下痢」と答えられ「体調不良」と言えないものかと思いました。
また、それを決定的なものにしたのは講義室の出来事でした。
私が在籍していた大学はお世辞にも偏差値が高いとは言えず、大きな講義室だと後ろの席がうるさいというFラン大学あるあるの状況でした。
また、私は目が悪いので黒板に書かれた字などは相当近づかないと見えず、この時は掲示される情報も多かったことから必然的に前の方に座らざるを得ませんでした。
その旨を、講義を受ける前に彼に伝えました。
そして、いざ講義を受ける前に彼からLINEが来ました。
「席を取っておいたよ」と。
その講義は確か彼と一緒に受講する初めての講義でした。
かつ、昼休憩後の講義であり、私は後日行われる新入生オリエンテーションでの食事の打ち合わせ(アレルギーについて)を行なっており、彼とは別行動でした。
なので私が彼より遅れて講義室に入室するかたちとなり、行った先で彼はかなり後ろの方にいました。
「目悪いって言わなかったけ?」
的なことを真っ先に言った覚えがあります。
そこで彼は
「あーごめんw忘れてたw」的な反応をしました。
しかし、その時はまあこればかりはしょうがないと思いました。
今後は、後ろに座りたい彼の気持ちにも配慮しつつ、なるだけ中間列くらいには座りたい旨を伝えました。が、次の講義ではさっぱり忘れていたようです。それ以降も何度か同様の事例がありました。
2.新入生オリエンテーション
私の大学は「新入生オリエンテーション」なるものがあります。
学部・学科ごとにまとめて、大学の研修センターにて1泊2日の合宿的なものを行います。
この研修で私はA班に、彼はB班にと別々となり、行動する時間も異なるため顔を合わすことは多くありませんでした。
そのことから、事あるたびに
「どこにいる?」「合流しよう!」「会わない?」「一緒にいよ!」「今は部屋?」(いずれも原文ママ)
とLINEにメッセージが送られてきました。
部屋には同じ班でも全く知らない複数人、鼻がムズムズして身体がかゆくなる布団、部屋で突然始まる人狼…とにかく場に馴染めないだけではなく、体調も悪かったので一人にして欲しいと思ってました。
ですが、直接伝えると流石に申し訳ないので
「早く寝たい」という旨を伝えました。
それに対して
「10じ半まで!お願い!」「今度なんか奢るから!」(いずれも原文ママ)
と返信してきました。
正直、そこまで喰らいついてくる意味がわかりませんでした。
部屋にいる人間はともかく、会おうと言ってくる人物も会って2週間ほどの関係です。私のことを何もわかってはいません。とにかく一人にさせてよ、という思いだけがありました。
ただまあ、そこで私は彼の願望に折れてしまいました。21:40から22:00までという約束で。
山の中にある研修センターなので、とても寒かったです。
その夜は部屋のハウスダストが酷かったせいもあり、唯一改修されているトイレの個室で一晩を明かしました。
翌日、そんな環境で寝られる訳もなく、ハウスダストにやられた私は文字通りの満身創痍でした。自由行動時間の際にも色々誘われましたが、ほぼ寝た記憶しかないです。
帰路も班ごとで大学の到着時間が異なり、私の班はB班より早く着いたので速攻で帰宅しました。
彼から一緒に帰ろう、というLINEが来ましたが、その時にはもう私は電車に乗っており、ようやく一人になれたという安堵感がすごかった記憶があります。
3.メンヘラくんの奇行
無事、新入生オリエンテーションを終え普段の生活に戻りました。色々疲れることはありましたが、その時は唯一の楽しみがありました。
週1に行われる部活です。私は入学直後に趣味系の部活に入りました。そこでは同学年の趣味を同じにする人がいる、という安堵感があった他、そこで仲良くなった同期や先輩とはその後、一緒に旅行へ行ったり、飲みに行ったり、大学時代の思い出を共有する大切な仲間を見つけられた場であるとも思います。
そんな部活は水曜日の6限終了後から始まるので、講義が終了した段階で部活があるからとメンヘラくんに伝え、部室に向かっていました。
帰宅経路と部室への経路とでは、歩く方向が違うので、その分岐点で彼と別れました。しかし、その2〜3分後にふと後ろを見ると彼がついてきていました。
帰宅経路とは異なる方向・図書館などに寄るにしても遠回りになる道である他、彼は部活に入っていないという事といった条件から考えて、彼が部室への経路を通る合理的な理由はありません。
少し怖かったです。
また、彼はやたらと講義終了後に飯を食いに行こうと言いました。
この頃から少しずつ、確実に彼への警戒心が芽生えてきました。
先日のように「ちょっと会ってあげただけ」「ちょっと勉強を教えたり、ノートを見せてあげただけ」なのに、奢る奢ると言われても、こちらとしては困ってしまいました。
4.約束していないのに
ある日、学校終わりに名古屋にある大須商店街で買い物をして帰ろうと思いました。
買うものが買うもの(同人誌)なだけに、こればかりは流石に一人で行きたいと、彼に「大須に寄って帰るから今日は○○(途中の駅)までね」とあらかじめ伝えました。
帰りの電車の中、降りる予定のひとつ前の駅で急に彼が
「僕も行くよ!」と言いました。
流石に自分の買い物の目的が目的なだけに「高校の友人が来てるから」と咄嗟に言い、諦めてもらう事にしました。
しかし、これが後述する大事件にて「ドタキャン」扱いされてしまいました。
一緒に行こうとも一言も言っていないのに、いつ約束したのでしょうか?
また、その翌日には
彼「昨日大須で火事あったでしょ!?大丈夫だった」
私「なんもなかったよー」
彼「そっかー、よかったねー なんかお土産買ってきてくれたー?( ̄∇ ̄)」
私「いや、買ってない(´・_・`)」
彼「そっかー、なんかいい物買えた?てか本当に火事なかった?」
私「買えなかったね…火事には気がつかなかっただけかも」
火事を題材にお土産せびるのやめましょうか。
というか、何で学校からの帰り道でお土産を買って行かなければならないのでしょうか。大須で火事が起きたって夜の話だし。
※後日、彼からユニバのお土産でミニオンのクリアファイルを貰いましたが、気持ちが悪い上に趣味ではないので開封せずに姉にあげました。
5.「メンヘラくん」誕生
5月の半ばになると彼への警戒心はより高まってきました。
そんなある日、異なる学部にいる高校時代の友人と昼飯を共にしている際、彼が合流してきました。
その場では、気まずい雰囲気と言いますか、あまり会話も弾む事なく終了しました。
その後日に、メンヘラくんから「一回ご飯を食べた子のLINE教えてー」とLINEがきました。
あまり教えたくなかったのと、個人情報の一種であるため(この時に英語の課題についても聞かれています。
私「うーん…一応理由聞いておく、個人情報だで許可とらないといけないから」
彼「その子とも話せるようになりたいかなって。今は君しか居ないしねw」
「あと、英語の課題ってなんだっけ?」
私「うーん…」
「説明通りじゃん」
彼「なんの説明?それが分からないから聞いてるじゃん」
「もうラインも教えてくれなくていいよごめん。」
…もうなんなんですかあなた
聞けば私が右往左往して何でもしてくれるとでも?その埋め合わせはお得意のご飯おごりで相手は満足してくれるとでも?
と思いました。
それでもその後は
私「○○(英語の課題名)だよ」
「せっかく聞いたのに…(´・_・`)」
彼「え、教えてくれるの?なんか嫌そうだったから」
彼「○○のunitが何か教えてー」
私「まだ返信こないからさ」
「それは俺もわかんない」(すでにやってある)
彼「だよね、やらなくていいか」(見事に引っかかる)
と一応聞いてるフリをしたら逆ギレ態度一変、厚かましいのもここまでくると一周回って潔いものです。
この後日、当該友人と実際に会い、状況を伝えたうえで相談しました。
ここでその友人は「メンヘラじゃんw」と言いました。そこから「メンヘラくん」という名前の由来となりました。(LINEはそれでも一応同意の上で教えた)
(ちなみに英語の課題は講義時に出してない人へ指導が入りました、ここで私の悪意に気付けよ)
6.終わりの始まり
高校の友人と相談し、第三者的視点から見ても彼が「ヤバイやつ」という認識もあったので、好きか嫌いかというラインを超え、いよいよ自分を守らなければならないという非常事態になりました。
つまり、メンヘラくんはもう私にとっては害をもたらす存在。私の周りから立ち退いてもらわなければならない段階まで来ました。
ですが、手荒な真似はしたくない。できれば彼の方から離れていってほしいと思い、ある行動を取りました。
それは「気がついているけど、気がついてないフリをする」ということ。
つまり、近くにいたり、視線があったり、廊下ですれ違っても無視することです。
例えばこういった行動を取りました。
- 講義室に入り、彼が座っている場所を見てから正反対側の席に座る
- 講義室に入って目があっても、隣に座らない
- 講義終了後はノートをまとめているフリをし、先に行かせる
- 廊下ですれ違ってもスマホを見ながら歩く
- 講義室移動の際、彼とは違う道で歩く
…と、色んな行動を取りました。
これは効果覿面で、隣に座り直してくることもありましたが、何度かやっているうちにそうした行為も無くなりました。
また、講義終了時に先に帰らせようとすると
「行こ!」と言うので
「まだノート取ったんじゃん、片付けてないじゃん、見て分からないの?」と返したりと、自分の身を守る行動を考えうる限り取りました。
それでも彼からのLINEはまだきます。課題を教えてほしいと。
そんな事も聞けなくなる日、もう明日だというのに。
↑5月25日、事件前日に綴ったメモ
7.終焉と新たな戦い
5月26日。大学生活も落ち着きを見せ、少し暑さを感じるようになってきた頃。
夕方には女の子と遊ぶ予定があり、少しウキウキしてたのを覚えています。
そんな時に事件は発生。
その日の1限の講義にはメンヘラくんはいませんでした。
実際にご覧ください。
とても怖かったです。
- 講義に出られなくなる原因も言わず、ノートを見せることだけ伝えてくる
- 可能な限りの自己完結を求めるものの、そんなものは無理だと主張してくる
- 「だから頼んでいるんだよ」と頼めば何でもやってくれる便利屋さんのような扱い
- 「そっちの都合でなくなったんだし」→これって関係ある?
- 「大須に行くってのドタキャンもそっち側の都合だったよね?」→そもそも約束をしていない
- 「そっちがいつも避けてるって分かる?(中略)話しかけづらいし。」→話しかけて欲しくないからわざとそうしている
- 「お互いに悪いところ直せば、仲良くなれるよね!」→強要しないでください。
- 「休む理由がそこまで大事だとはおもわなかったからだよ。普通の人はそうだと思うけどね。」→じゃあ私はその「普通の人」から離れた異常者なの?
と、文面からあたかも私が全部悪いと言いたいようで。
一度縁が出来たら何が何でも仲良くしないといけないの?と思いました。
これだけウマが合わない、相手が拒否反応を起こしたり、怒っていると思ってるのに何故やめない?…そもそも怒ってる理由なんて考えたこともないんでしょうね。私が悪いらしいのだから。
そんな一悶着があったのち
彼は講義にきました。
しかも状況は最悪。
語学系の少人数講義のため、座席数が少なく席の余分はなし。暗黙の指定席状態。私は窓側、メンヘラは通路側。
↑このような形で壁をつくりました。
今思えば、彼は刃物などの武器を持って来られる状況だった訳ですから、この日に限っては休むべきであったと思います。
と、まあそんな状況でしたが無事に講義が終わり、私は走ってその場から立ち去り、無事に女の子と遊ぶことができました。
しかし、この状況は夏まで続き、彼が退学するその日まで決して安全ではありませんでした。
それはまた詳しく後日談にてまとめるとして、この事件からこの事を学びました。
「友達」「仲良くなる」というモノに対する考え方です。
またこれも後日談にて詳しく綴りますが、やはり友達というものは自然体が一番です。
なんとなく知り合い、なんとなく気が合い、なんとなく仲良くなり、なんとなく長く続く。
これに尽きます。無理して作った急ごしらえの関係、合わないと分かりつつも維持した関係といったものは直ぐに壊れてしまいます。
いわゆる「馴れ合い」ってやつですね。
互いが互いに相手に対して真剣じゃない状態。そのグループ内で問題が発生しても、なあなあで済まされ永遠に解決しない状態。
そんなものに時間や金を費やすくらいなら、私はわたしの事を本気で考えてくれる人しかいりません。
この事件以降、私はとにかく人間関係の断捨離を行い、さらに大学卒業前にも再度行いました。
欲しい人は全員欲しいから。そのためには生産性のないものにコストをかけたくないから。そこで浮いたコストは大切な人たちに還元したいから。
…あえて言葉にするとこんな意味で。
つまり、無駄な食事や飲み会の機会を根本から断ち切り、そこで浮いたお金は必要なものに回すといったような考えです。
それで今日の安全、今日までの安全が守られているから、結局わたしにはこの考え方が一番なんでしょうね。
といったようにメンヘラ事件からは多くの教訓を学び、人付き合いに対する考え方が大きく変わりました。
後日談ではメンヘラくんが退学するまでの経緯と、色々思った事を記します。
それでは今回はここまで。
ご覧くださいましてありがとうございました。
小豆島旅行(2日目) 〜小豆島再訪とヤッパシンカンセンダッタンジャナイスカネ-〜
ご覧くださいましてありがとうございます。
今回は小豆島2日目です。
これは最大出力で稼働させていたら床一面を湿らせるほどの湿度を提供してくれた加湿機くん。
東横インは無料でバイキング形式の朝食がついてくるというので楽しみにしていたのですが、やはりコロナの影響でお弁当形式に変更とのこと。
まあそれでもオニギリ2つと惣菜、味噌汁とコーヒーがついてくるのでありがたいところ。
9:50にチェックアウトしたのですが、フェリーが9:55発なところを10:00発と勘違いしてたので間に合うはずもなく後発の高速艇に乗船。
高速艇の方が早く着くので行程には影響ナシです。
早速コインロッカーに忘れてたベストとコートを奪還。
ちなみに通常のフェリーはこんな感じです。
土庄港からはバスで島西方にある柳へ。
これを見にきました。「樹齢千年のオリーブ大樹」
これはスペイン(?)から輸入されたものがそのままずっと生きているということで、小豆島がオリーブの名産地として有名になったきっかけであるともされてます。
もちろんここも聖地。2期10話の「宝探し」で高木さんと西片がこの木の下で一緒に音楽を聴くシーン。
ここから昨日行った鹿島明神社へ向かい、再度お参り。
ほど近くの「鹿島中」バス停から島南方にある草壁港までバスで移動します。
路線バスとフェリーの乗り継ぎ的にこのルートが最も効率的であったからです。
草壁港から高松港へ向かうフェリーは内海フェリーというまた別の会社のフェリーなんですね。
船内は四国フェリーより色んなものがありました。
こっちも悪くありません。
さて、今度こそさよなら小豆島。
また行きたいところです。
お腹も空いたので船内でうどんを食べました。
うどんに限らず、こういうところで売ってるものって何でめちゃくちゃ魅力的に見えるんですかね。
高速道路のSAとか、温泉旅館の売店などに似たところがある気がします。
途中、ウミネコ(?)が飛んできたりした中、小豆島の思い出に浸っていると電話がかかってきて…
「友達かな?」と思いきや会社からの電話!!
ぼく「お世話になっております〜。○○です〜。Σ(゚д゚lll)」
会社の人「お世話になってます、○○株式会社の××です。今ちょっとお時間よろしいですか?(*´-`)」
ぼく「はい、大丈夫です。(あんまり大丈夫じゃないけど)Σ(゚д゚lll)」
会社の人「今ですね、コロナの関係で実態調査してまして、ここ2ヶ月で旅行したところとかあれば教えていただきたいです。(*´-`)」
ぼく「あ、はい。えーっと2月は東京と〜(中略)、あと3月の頭に福岡県と長崎県に行っていて、今は香川県の小豆島ってところにいます( ;´Д`)」
会社の人「めっちゃ色んなところ行ってますね!(笑)」
…ということがあり、めちゃくちゃビックリしました。
まさか船で感傷に浸っているときに電話かかってきて、現在進行中の旅行を教えることになるとは(汗)
とまあ、そんなこともあり高松港に着きました。
ここからはマリンライナーで岡山へ向かい、新幹線で名古屋へ帰ります。
このタイミングで初めて鉄道に乗りました…。
1号車はE217ベースで開発されたということもあり、四国の電車に乗ってる感じは全くしなかったです。
岡山駅についてしばらく街の中をうろついていたらLS600hLの個人タクシーが…。
乗ってみたかったけどワンタコになりかねないので断念。
そして帰りはひかり520号のグリーン。京都まで各駅停車の遅いひかりをあえて選択しました。
そんな遅いひかりでも名古屋まで2時間半以下なんですね…。
行きの8時間半はなんだったのか…。
+6000円程度で6時間ほど短縮できるんだったら、これに限る。
帰路だけでも新幹線にすると本当に気楽です。
新幹線は料金が高いって言われがちですけど、費用対効果はバツグンだと思います。
そういう訳で名古屋に着弾。
ほんと速いですわ。行きも新幹線にすれば良かったと思ってます。
次回は往復新幹線ですかね…。
そんなわけで、また近いうちに行きたいところです。
小豆島は瀬戸内海の温暖な気候なうえ、とても静かな島なのでとてもゆったりとした雰囲気です。
海沿いだと風も気持ちいいので、とてもオススメなスポットです。
また色々落ち着いたら行きたいですね。
それでは今回はここまで。
こっちがメインで!
なんか知らないけど別々のブログに投稿しちゃっていたのでこっちがメインとします。
よろすく〜
小豆島旅行(1日目後半) 〜平和でのどかな島で自転車徘徊をするおっさんの真の目的とは…横になれるベッドで悦びを知ったある1人のおっさんの感動秘話〜
ご覧くださいましてありがとうございます。
わらこです。
今回は前回の続きとして小豆島旅行1日目後半を〜
聖地巡礼の際には1日500円のレンタサイクルを借りました(完全に営業車)
フェリー乗り場から直接全部歩きで行こうと思ってたのですが、割と全部巡ろうと思うと距離があるので自転車ないしはクルマで移動した方がいいですね。
とりあえずスマホで道を調べて寄りやすいところから…。
まずは「迷路のまち」から。
ここは道がとても入り組んでいることからこう呼ばれたそうで。
学校じゃない日にたまーに写ってます(適当)
そしてこちらは土渕海峡(どふちかいきょう)。
2期の5話や11話で写ってましたね。
たしか誕生日とお土産のお話だったかと。
そしてこちらは高木さんたちの通学路。
先ほどの土渕海峡から北上したところにあります。
ここは自動車が通れないくらい狭い道なうえ、完全に生活道路なので巡るときは住民の方のご迷惑にならないように…。
現に最も近いアングルに向かおうとしたら住民の方が談笑されていらっしゃったのでやめました。
こちらは八幡橋。
1期のOPや8話の台風の時に登場。
先ほどの路地と同じく通学路の設定です。
(僕も通学してる…!?)
さて、八幡橋からちょっと行くと土庄中学校です。ここは多くの話に登場してますね。
しっかしこれ公立の学校なのかよってぐらい綺麗だな…。内装も作品は忠実に再現したとか何とかって話だし、こんな綺麗な中学校で素敵な出会いに巡り会えたら本当に良かったと思ってます。
さて、お次はBooksことぶきへ〜。
1期5話の「本屋」で登場。中には山本宗一郎先生関連の書籍が沢山あり、聖地マップもありました。
ご好意によりマップ見せていただいたので、お礼として何冊か購入しました。
店主さん(?)とお話をしているうちに山本氏のお母様がよくいらっしゃるようで…。
なんというか適応力がものすごいと思いましたね…。僕には到底真似できない。
そんなわけでそこからエンジェルロードへ向かいました。1期OPに登場ですね。
ここは元々有名な観光地なだけあって若い人が大勢いました。観光案内所で切手シールを購入。コラボ商品ってこのぐらいしか無いのかしら?
ちなみに駐車場にはIQOSスポットがあります。(重要)
そこから土庄町立中央図書館。
高木さんと西片がよく勉強しているところですね。中が見えないかと様子を見てましたがどうやら改装工事中なので邪魔をしないことにします。
土庄町中心街は大体見たのでここからは海岸線を西に、鹿島へ向かいます。
1期8話に登場したマラソンコース。
ここを自転車で走り抜けるとすごく気持ちがいいです。
ここの道を抜けるとしばらくした先に鹿島明神社があります。
ここの公園も境内も、幾度も登場してますね。
我々の世界観で学校帰りに寄ろうとしたらなかなか距離があります。
境内の絵馬をかけるところ(?)にはやっぱりその手のものが…。
東京曳舟の高木神社にある絵馬を持ってきてる人もいるし、中国語で書かれたメモ書きもあるし…。
まあ、そんなわけでお参りをした後に各シーンの構図と同じように撮影。
こうやって海が見える神社って素敵ですね。
そこから更に西へ進み、1期6話で出てきた肝試しのトンネルとOPなどで登場している通学路(?)まで。
坂がキツくてなかなか辛かったです(白目)
そして街の方へ戻りスーパーで昼飯をば。
寿司のバイキングがあったのでいくつか好きなのを取ってみたんだけれども、これは寿司に貼られてるシールをスキャンして値札を印刷する方式なのね。
イオン系だったけど愛知では見たことがない。
そこから富丘八幡神社まで。ここは2期の12話で登場。
ものすごい坂で登るだけで汗だくになるというのに実際に祭りをここでやるようで。
静かでとてもいいところでしたね。
あらかた見終わったタイミングでフェリーの時間まで余裕があったため、他にも色々と。
聖地巡礼抜きにしても風情があって本当に良い島です。
最後に自転車だと最難関なマラソンコースを巡って終了。
お土産でビールとオリーブオイルを購入、帰りのフェリーでビールを飲みながら「良い島だったなぁ、また行きたいなぁ」
と思ってたタイミングで島のコインロッカーにコートとベストを忘れたことを思い出しました。
というわけで再訪の機会は突然にしてやってきました……。
まあ、時間的に戻ってると遅くなるため、ホテルへ向かいました………。
東横イン高松兵庫町
はじめて東横インを利用しましたが、合理的かつ機能的でとても気に入りました。
また、前日が前日だったために、横になって寝られることに圧倒的感謝…!
コロナが落ち着いたら何もない日に泊まるだけ泊まりに行きたいですね…。(福利厚生で会員になれるし)
また、今回は喫煙室を予約しました。
喫煙ルームに行くより圧倒的に楽です。
晩飯は道路を渡った先のうどん屋へ。
朝行った店の方が美味しかったかな?
今日は明日が休みなんでコンビニで酒とつまみを買ってから滅多に人が入ってこない個室なんで、そこでしこたま酒を飲んでからやりはじめたんや。
1人で酒を飲みながら部屋着だけになり、買ってきたベビースターラーメンを口に3本ずつ入れあった。
あ^〜たまらねえぜ。
酒が足りなくなったんで、1階ロビーに行くとホテル価格だとは思えない価格で売ってたぜ。
そこでハイボールと日本酒を1本ずつ買ってから部屋で飲みはじめたんや。
もう部屋中酒まみれや。
やはり一人で部屋飲みしてると最高やで。こんな(ry
というわけで酒をしこたま飲み、お部屋で満喫しました。
ビジホ飲み、結構良いですよ。
酒のつまみには「タラタラしてんじゃねーよ」が結構合います。オススメします。
さて、今回はここまで。
ご覧くださいましてありがとうございました。
小豆島旅行(0日目、1日目前半) 〜夜行バスに敗北を知った漢の物語、そして四国へ〜
ご覧くださいましてありがとうございます。
とりあえず寝られないので、
今年の3/16〜18にかけて行った香川県は
小豆島へ行った際の旅行記をまとめます。
書いたら寝ます。
さて、旅は3/16の夜からスタート。
本来の行程としては
名古屋→バスで高松→小豆島→高松付近観光→高松→バスで名古屋 という行程でした。
(出発数時間後で大きく変わります)
まず、最寄駅から名古屋へ電車で移動。
バスは名古屋駅のバス乗り場を22:30に
出発する便だったと記憶しています。
名古屋駅には出発予定時刻の30分ほど前に
到着。水や食料をコンビニで準備します。
そして案内の人によりバスに誘導されました。
実は今までに路線バスや観光バスといったものを除き、こういった夜行バスには乗ったことが無かったため、運転士さんに名前を言うだけで良いという確認方法に驚いた記憶があります。
バスは「コトバス」という香川県に本社を置くバス会社によって運行されるものでした。
車種は日野のセレガですね。
だと勝手に思ってましたが、そうではないようです。
このバスは記憶している限り、名古屋駅から
西へ進み、伊勢湾岸自動車道を通り、途中の
四日市にて客扱い、その後は新名阪高速、阪神高速3号、神戸淡路鳴門自動車道、高松自動車道等を経由して高松へ向かうものです。
そんなバスに乗車して30分ほど経った時、少しずつ身体がバスに蝕まれていくのを感じました。
理由としては単純にスペースが狭いこと、閉鎖的な空間であること、車内が暑いこと、感染症拡大防止のために常にマスクを着用していたことなのでしょうか。とにかくすぐに辛くなりました。
旅客の途中休憩は三重県の御在所SAにて20分ほどのみ。これからまだ7時間ほど辛い行程は続きます。
道中、当然そういった環境からロクに眠れる
こともなく常に起きていました。
時間としては夜中の3時ごろに限界のピークを迎え「これ帰りに乗るのは無理だ」という結論になりました。
バス会社のHPで調べると出発前日のキャンセル料は40%らしく、それなりに痛い出費では
ありましたが、帰りのバスは断念することにしました。
キャンセルは無事に済みましたが、その段階においては帰路が未確定の状態で、とりあえず
新幹線の予約サービス「スマートEX」のサービス開始時間が朝の5:30からだということで、とにかく耐えぬくことにしました。
結果的に5:30すぎのタイミングで新幹線の予約をし、帰りはゆったりグリーン車だということで少々安心したタイミングでバスは徳島に到着。ここで乗客の大半が高知方面の乗り継ぎバスへと乗り換えて行きました。
そして何とか朝7時過ぎに高松へ到着。
朝食はやはりうどん。
高松駅前にある「味庄」というところへ。 ここのうどん屋は昔ながらといった感じでこの後に食べるどのうどんよりも美味しかった記憶があります。
朝食後はホテルに多少の荷物を預け、ある程度身軽な状態にしたうえで高松港を9時に出るフェリーで早速小豆島へ向かうことにしました。
船に乗船することは10年ぶりぐらいな気がします。
船内は両舷側に向かい合わせのボックス席、
中央には前向きのソファ型の席が配置されて
おり、前者には大学生グループといった比較的若い人たちが、後者にはサラリーマンといった感じで、案外そういったビジネス需要があるのだと思いました。
船内で購入したコーヒーを海を見渡せる甲板上で風を感じながら飲みました。
とても風が気持ちよく、また景色も非常に良いものだったため、先ほどのバスとは比べ物にならない開放感がありました。
その後は客室内に戻り、再履修ということで
持ってきた「からかい上手の高木さん1巻」を
読み、小豆島への期待をさらに膨らませます。
船は出港後、1時間ほどにて小豆島の土庄港に到着。
余談ですが、出港時と入港時には運行会社である四国フェリーの社歌と共にアナウンスが流れるので、未だにこの歌を聴くと小豆島を思い出します。
さて、いよいよ高木さんの聖地へ!
尺も良いところなので一旦区切ります。
後半では島内をスーツ着たおっさんがチャリンコを必死に漕いでいたお話と、東横インで横に寝られることに悦びを知った漢の物語をお送りします。
今回はここまで。
ご覧くださいましてありがとうございました。